梅雨に入ると、傘が手放せない季節になりますよね!
日本人は「世界の傘事情調査」で
・傘の所持数、世界NO.1
・ビニール傘の使用率、世界NO.1
・傘1本の購入費用、世界平均の約2倍
これらの調査結果から、世界で一番傘が好きな国民と言われています。
しかし傘の歴史を、知っている人は意外に少ないのではないでしょうか?
そこで今回は、傘の歴史について、深堀りしてみたいと思います。
早速、傘の起源から見てみましょう!
Contents
”傘の歴史を知らない日本人!でも世界でいちばん傘が好き”
傘の起源は?
傘を使い始めたのは今から約4000年前。
エジプトやペルシャなどの、彫刻画や壁画に描かれ残っています。
もともと傘は日除けの為であり、長い間、富や権力を象徴するアイテムでもありました。
しかし当初は現在のような、開閉式の傘ではありません。
開閉式の傘は、13世紀のイタリアで作られ、スペインやポルトガル、フランスへと広まりました。
そして上流階級婦人達の、ファッションアイテムとして、流行していきます。
では、雨傘として広まったのはいつでしょう。
雨傘として広まったのは?
現在では、雨が降ったら傘をさすのは当たり前。
しかし雨傘が浸透するにまでには、かなりの苦労があったようです。
雨傘の先駆者で知られるのが、イギリス人男性のジョナス・ハンウエイ。
貿易会社の経営者で、世界中を周り巨万の富を得た人物です。
ハンウエイはペルシャを訪れた際、現地の人が傘を雨傘として使っていたのに感激。
1750年には、自らがロンドンで雨傘をさして街を歩きました。
しかし当時のイギリスでは、傘といえば日傘であり、豪華なレースや刺繍の施された貴婦人のアイテム。
男性は帽子やトレンチコートで、雨をしのぐ時代。
ハンウエイの、雨傘をさす姿を見た人達は、おかしいと変人扱いしていました。
世間に非難を浴びながらも、ハンウエイは約30年間、雨傘を使い続け、次第に多くの人に普及していきます。
では、日本で傘が広まったのはいつでしょう。
日本で傘が広まったのは?
※画像 蛇の目傘
平安時代前後に仏教やお茶・漢字等と同じく中国から、伝来したと言われています。
しかし現在の和傘の形ではなく、蓋(ふた)や笠(かさ)であり、天蓋や覆い状のような物で、日除けや魔除け、権威の象徴として使用されていました。
安土桃山時代になると、和紙製造の技術の向上もあり、竹細工を取り入れた傘(和傘)を作ります。
室町時代には、和紙に油を塗布して防水性をもたせたり、ろくろを使って開閉できるようにもなります。
和傘は、完成するまでに約100の工程があり、その結果、江戸時代に分業制が広まりました。
失業した武士も、副職として傘の製作をしていたそうです。
また、当時の人は和紙が破れた時には張り替えたり、竹骨の部分が折れたら交換して、傘を愛用していました。
江戸時代のお直しに関しましては
をご覧ください
そして和傘には、主に2つの種類があります。
番傘
庶民の生活必需品で、傘に屋号を入れたり家紋を入れたり、番号を振って持ち主が分かるようにしていたので、番傘と言われています。
蛇の目傘
石突(いしづき)を中心に、白の輪の模様がヘビの目のように見えるので、蛇の目傘と言われています。
華やかな蛇の目傘は、歌舞伎役者や女性を美しく見せるファッションアイテムとして、重宝されていました。
では、洋傘はいつから日本に輸入されたのでしょう。
洋傘が日本に輸入されたのは?
多くの日本人が初めて洋傘を目にしたのは、1854年。
ペリーが浦賀に来航した時です。
上陸に同行した水平の上官がさしていた傘が黒く、羽を広げたコウモリのように見えました。
それがきっかけで、昔の日本では洋傘のことを”コウモリ傘”と呼んでいました。
1859年、英国商人によって洋傘が国内に持ち込まれますが、高級品のため一般庶民には買えません。
そこで明治に入り、日本でも洋傘の生産を始めます。
国産品が生まれコストが下がり、明治から大正にかけて、一気に庶民の手に行き渡ります。
明治後期には、洋傘の生産量も増え、日本から海外への主要輸出品目にもなります。
そして昭和に入ると、次々に革命的な傘が誕生します。
1928年、ドイツのハンス・ハウプトが、折りたたみ傘を発明!
持ち運びに便利な折り畳み傘は、瞬く間に世界中を席巻していきます。
そして日本人が発明し、大ブームになった傘があります。
日本で誕生!歴史的大ブームになった傘は?
※画像 ホワイトローズ株式会社の高級ビニール傘(かてーる16桜 )
皆さんが日常的に使っている”ビニール傘”です。
ビニール傘を考案したのは、1721年創業の老舗雨具メーカー、ホワイトローズ株式会社。
進駐軍のビニール製テーブルクロスの形状に着想を得て、1958年に完成させます。
社長は「日本中をビニール傘で埋め尽くしたい!』という夢を持って発売しますが、最初は思うように売れません。
そんな中、1964年に東京オリンピックが行われます。
1964年の東京オリンピックとファッションに関しましては
をご覧ください
すると観戦の為、来日していたアメリカ流通大手のバイヤーが、初めて見たビニール傘に感激して
「アメリカで販売したい!!」
とホワイトローズに交渉します。
早速ニューヨークでビニール傘を販売すると、瞬く間に大ブームに!
便利で安価な傘として、需要と共に、日本での生産も拡大していきます。
しかし、バブル崩壊以降は中国産のビニール傘が95%以上を占め、傘全体の需要の50%~60%を占めるようになりました。
現在もホワイトローズでは、日本製に拘り改良を重ね、業界最高峰のビニール傘を作り続けています。
今回は傘の歴史について、深堀りしてみましたがいかがでしたか?
傘は、私達の日常生活に、必要不可欠なアイテム。
お手入れやメンテナンスをしながら、愛用して下さいね!
※傘の修理のビフォー・アフターは
をご覧ください