皆さんは
・洋服のサイズ直しはリフォーム屋さん
・ヒールを修理するなら靴のリペアショップ
・ブランドバックをリメイクしたい時にはリメイクショップ
などで3Rをご活用されているかと思います。
このファッションの3R、日本では江戸時代に需要の高いサービスだった事をご存知ですか?
*ファンションにおける3Rについては
をご覧ください。
なぜ今から約400年前の江戸時代なのでしょう。
歴史をひも解くと、そこには現代人が見習うべきライフスタイルがありました。
そこで今回は、3Rの江戸時代の歴史について解説してみたいと思います!
Contents
ファッションの3Rの歴史
250年間の鎖国
江戸時代は、約250年間の鎖国政策により、ほとんどの産業の資源を国内でまかなっていました。
ですから、人口の割に物が少ない時代だったのです。
当時は、生地を染める科学染料などもなく、新品の着物はとても高級品でした。
新品の着物が着れたのは、公家や武家、寺院などの位の高い人々。
また、テレビや映画でおなじみの、大奥や花魁などの一部の女性達でした。
彼女達は外出する事が限られていたので、着物を仕立てるのが、唯一の楽しみでもありました。
これらの富裕層の着物を繕ったり、サイズ調整をしてくれるリフォームの専門家
“御物師“(おものし)
と呼ばれる縫製スキルの高い人気職業が、存在していました。
日本には四季がありますから、夏には裏地を剥がし涼しく、冬には綿を入て暖かく作り変えます。
現代のようなミシンなどが無いことを考えると、全て手縫いです。
女性に人気の職業でしたが、大変過酷な仕事でもありました。
日本製の染料で染めた生地や糸の着物であれば、現在でも高級品です。
では一般庶民はどこで着物を購入していたのでしょう?
新品の着物が買えない一般庶民は、江戸の街にたくさんあった、古着物屋さんです。
その着物は後に、子供用に仕立て直してくれる職人さんに頼み、着せます。
子供が着古した後は、おむつや雑巾に作り変えて使っていました。
これらは既に、江戸時代にリメイクをして使う習慣があっという事です。
雑巾はボロボロになるまで使うと、燃やします。
最後は灰になりますが、また再利用する徹底ぶりです。
現代のような便利な掃除用具などがない時代。
ふきんや雑巾は、とても重宝されていていました。
そして当時は生地が、とても貴重な物だったこともわかります。
この他にも江戸の町には、草履や下駄の(リペア)をしてくれる職人さんがたくさんいました。
特に下駄の歯が折れたら、入れ変えてもらい、鼻緒が切れたら交換して履きます。
また、古傘屋さんのような所もありました。
昔の傘は、和紙と竹で作られていました。
穴が開いたり雨漏りしたら張り替えたり、竹骨が折れたら交換して使いました。
これ以外にも、陶器や鋳物製品なども修理して使いました。
日本ではあらゆる物を、何度も何度も直して使っていたのです。
では、現在の日本はどうでしょう?
日本国内で年間消費される傘、約1億3000万本!
・日本国内で消費される傘は、年間で約1億3000万本。
・警視庁遺失物センターに届く忘れ物の傘は、年間約30万本。
しかし、忘れ物の傘が持ち主に戻るのは年間わずか3000本で、その残りの多くは廃棄されています。
特に中国製のビニール傘は、年間6500万本も消費しされ、日本の傘職人は、年々減少しています。
※傘の歴史に関しましては
をご覧ください
江戸時代の鎖国政策には、当時たくさんの批判もあったでしょう。
しかし人々の工夫と努力によって物が無くても、経済が停滞してしまう事はなかったのです。
むしろ物を大切に使うリサイクル意識が高く、職人の雇用もうまれ、技術も向上していきました。
日本は20世紀に入り、世界の貿易大国になり、物が溢れています。
便利な世の中ですが大量生産、大量消費、大量廃棄による環境破壊など、新たな問題を抱えています。
環境に配慮した環循環型社会への取り組みを、未来の為にしていかなければなりません。
今回はファッションの3Rの江戸時代の歴史について、解説しました。
時代を振り返ると過去に敬意を払い、未来の為に今すべき事が見えてきます。
近年ではフリマアプリや、買取り販売するリユース企業などが普及し、新しい循環型社会への取り組みがされています。
※リユース企業に関しましては
をご覧下さい
まとめ
日本の江戸時代は鎖国により不便な時代でしたが、人々の物を大切に使う気持ちが3Rのサービスの需要を高めました。
江戸時代のリサイクル意識を見習い、現代のライフスタイルに合わせて、循環型社会に発展させる事が重要です。
世界中の物が手に入る時代だからこそ、一人ひとりが本当に必要な物を見極め、愛用する気持ちを心がけて行きたいですね。