大人のファッションブランドアイテムの第3弾
「品格ジュエリー編」です。
パンプス、ウォッチ編とアラフォー世代から長く愛用できる、ファッションアイテムをご紹介してきました。
ジュエリーは女性にとって、日頃の自分へのご褒美や、大切な人からの記念のプレゼントなど…
ファッションの中でも、思い入れの強いアイテム。
だからこそ人生を彩るジュエラーも厳選したいところ。
そこで今回は、アラフォー世代にお勧めの、歴史あるジュエラーの品格ジュエリーをご紹介します。
Contents
”大人のファッションブランドアイテム|品格ジュエリー編”
ブルガリ (BVLGARI)
創業者はソティリオ・ブルガリ
1857年オスマン帝国支配下の、ギリシャのエピルスという街で生まれました。
エピルスは古代ローマの時代から、銀細工が盛んな街。
ソティリオ・ブルガリの実家も代々銀細工師でした。
その環境から、次第にソティリオも興味を持ち、腕を磨いていきます。
1881年にはイタリアローマに移り住み、トリニタ・ディ・モンティで銀細工の商いを始めます。
次第に評判は広まり、1884年にローマのヴィアシスティーナに、ブルガリ初の店をオープン。
しかし、ソティリオには職人としてこの店だけに留まる考えは、全くありません。
上流階級の人々がバカンスに訪れる国内のソレントや、スイスのサンモリッツなど。
高級リゾート地などに自らが直接出向き、ビジネス展開していきます。
グラマラスなブルガリジュエリーの虜になった貴族達から、信頼と名声を得ると同時に国際的なネットワークを築く事にも成功します。
伝統的なジュエリーデザインに拘る、職人気質のソティリオ。
一方で開拓精神の強い企業家でもありました。
1934年、ソティリオは亡くなりますが息子や兄弟が才能を受け継ぎ、ブランドをさらに躍進させていきます。
1970年、ブルガリ海外初の店舗をニューヨークに出店。
その後もパリ、ジュネーブ、モンテカルロなど続々と店舗を増やしていきます。
1997年、高級ウォッチ「ブルガリ・ブルガリ」を発売。
独特なデザインは世界中で大ヒットし、腕時計の分野においても成功を博していきます。
日本では、1991年にブルガリジャパンを設立。
1995年、イタリアの証券取引所で上場も果たします。
2004年には「ブルガリホテル&リゾーツ」をミラノで開業。
ラグジュアリーな気分を体感できるホテルとして、世界中のセレブリティを中心に話題となり成功を納めています。
現在、世界6カ所にホテルがあり、2022年には東京八重洲に開業が予定されています。
2011年、世界最大手のラグジュアリーブランド企業「LVMH」のグループ傘下になります。
ラグジュアリーブランド企業に関しましては
をご覧ください
ブルガリは創業から135年を迎えます。
ジュエリーや腕時計の他に、バックや香水、レストラン、ホテル事業と新しい分野にも進出してきました。
伝統様式を守りつつも、最先端の情報と技術を集結させるブランド精神は、脈々と受け継がれています。
ブルガリのお勧めジュエリーは
画像の「ビーゼロワン」
ローマ4リング ¥194,400(税込)
18Kピンクゴールド製ループ
ブロンズセラミックスタイル
古代ローマの象徴である、コロッセオなどの建築家からインスパイアされたブルガリを代表するコレクション。
重厚感があり、伝統とモダンが融合したデザインはクールな大人の女性にぴったりのリングです。
ティファニー&カンパニー(TIFFANY&CO.)
1837年、チャールズ・ルイス・ティファニーと、ジョン・Bヤングがティファニ・アンドヤングを設立。
当初はニューヨークのブロードウェイに、文房具や装飾品の販売店としてオープン。
”値段を付けても一切交渉には応じない”という当初では珍しいポリシーを貫いていました。
1840年、当時貴重だったヨーロッパから宝石を買い入れる事に成功。
ティファニーの代名詞とも言われる、ダイヤモンドの販売を開始します。
するとアメリカのメディアから
「キング・オブ・ダイヤモンド」と呼ばれるようになります。
1843年、ゴールド製品の販売も始めます。
1845年には、世界初メールオーダーカタログ
「ブルーブック」を発行し通信販売を行います。
当時のブルーブックの中には、日本の紙張り子や中国からの輸入品も販売されていました。
1850年、銀製品の取り扱いも開始。
社名を現在のティファニー&カンパニーに変更します。
社名変更後も、ティファニーの勢いはとまりません。
1867年のパリ万博で、アメリカ企業初の銀器部門で優秀賞を受賞します。
そのデザインは、現在のアメリカ合衆国の1ドル紙幣にも使用されています。
1887年、創業者のチャールズ・ルイス・ティファニーがティファニーセッティングを考案。
リングは正面から見ると立て爪が消えて、まるでダイヤが浮き上がったように見えます。
現在でもティファニーを象徴する、崇高なデザインです。
1940年、ニューヨークの5番街に店舗を移転。
この店舗は、オードリーヘップバーン主演映画「ティファニーで朝食を」の舞台になります。
映画の大ヒットで、ティファニーは世界中の女性達の憧れのブランドとなったのです。
日本でのティファニーは、バブル景気と共にオープンハートのネックレスが大流行。
クリスマスのシーズンには、プレゼントの購入で、店頭には男性の行列ができ、入場制限までする盛況ぶりでした。
バブル時代のファッションにつきましては
をご覧ください
ティファニーの人気の秘密は、出産や結婚など、人生の節目にふさわしい記念のアイテムがそろっているから。
また老舗ハイジュエラーですが、幅広い価格帯のラインナップで、若年層からのファンも多いのが特徴です。
ティファニーのお勧めは
ティファニートゥルーナローブレスレット
18Kゴールドブレスレットミディアムサイズ ¥669,660
アルファベットの”T”の文字が模られた、存在感を放つブレスレット。
ブランドに負けない魅力を備えたアラフォー世代だからこそ取り入れたい、品格アイテム。
ミキモト(MIKIMOTO)
創業者は御木本幸吉(みきもとこうきち)
幸吉は1858年三重県鳥羽市に生まれます。
幸吉が成人を迎える頃、伊勢志摩の天然真珠の生まれるあこや貝は絶滅寸前でした。
当時の天然真珠は、1000個の貝の中で一粒あるかないかの偶然の産物。
その希少性から高値で取引され、時折乱獲の被害が発生していました。
ちなみに天然真珠は、世界最古の宝石とも言われ、クレオパトラも身に着けていた事で有名です。
危機感を抱いた幸吉は
”世界中の女性を真珠で美しく飾りたい”と夢を抱き英虞湾で、真珠養殖の実験を始めます。
1893年、数多くの危機や試練を乗り越え、35歳の時に世界で初めて、半円真珠の養殖を成功させます。
1899年、東京銀座に御木本真珠店を開店。
半円真珠の成功から12年後の1905年、真円真珠の養殖に成功。
1913年には、ミキモトで初の海外支店をロンドンに開設します。
1927年、ニューヨークの5番街に出店。
そしてこの年、欧米視察に行った幸吉は、世界的な発明王エジソンとの会見が実現します。
ミキモトパールを贈ると、エジソンから「真珠を発明されたことは、世界の驚異です。」と告げられます。
エジソンの言葉は、幸吉の今までの努力や苦労が報われた瞬間でした。
1986年、念願のフランスパリのヴァンドーム広場に出店。
世界のハイジュエラーが立ち並ぶヴァンドーム広場で、東洋で唯一のハイジュエラーとして、現在も店を構えています。
そんな日本が誇るMIKIMOTOのお勧めのジュエリーは
画像のロングネックレス。
ヴァンドーム広場に舞い落ちるバラの花びらから、インスピレーションを得て生まれたジュエリー。
PP-20531S ¥216,000
シルバー(ロジューム仕上げ)あこや真珠6.00~7.50mm 全長90cm (アジャスター付きで長さを85cmに調整可)
上品で優しく、服に溶け込むようなネックレス。
長さ調節のできる、ロングネックレスは使い勝手も良いので、揃えたいマストアイテム。
今回の大人の品格ファッションアイテム「ジュエリー編」はいかがでしたか?
ハイジュエラーブランドを築くには、創業者の強いポリシーを継承しながら、新しい事にも挑戦する探究心もありました。
次回はいよいよ最終章「バック編」です。
ジュエリーのお手入れ&メンテナンス
身に着けたジュエリーは汗や油などで汚れています。
外したら、柔らかい布などで軽くふき取ってください。
メッキ製品の場合は、強く擦ると剥げてしまう場合があるので、気を付けましょう。
ネックレスやブレスレットなどの糸交換は、1年~2年の定期交換がお勧めです。
摩擦などで突然切れて、パーツの紛失などを防ぐ事ができます。
忙しい毎日でも、大切な物のお手入れやメンテナンスを楽しむ余裕が、大人の品格。
※ジュエリーのリフォームに関しましては
をご覧ください