平成のファッションと流行を振り返る(前編)

長い冬が終わり、軽やかなファッションに身を包む、暖かな春が待ち遠しい季節ですね。

今年は元号も変わり平成も終わりを迎えます。

平成は皆さんにとって、どんな時代でしたか?

平成の幕開けと共にバブルは最高潮になりますが、翌年には崩壊。

日本は失われた20年を、たどる事になります。

また、数々の自然災害やアメリカの同時多発テロなど、悲しい出来事もありました。

そんな時代の中で、ファッションはどのように変化していったのか?

経済や流行と共に、平成を振り返ってみたいと思います。

”平成最初の流行ファッションは?”

DCブランドと渋カジファッション

約62年続いた昭和が終わり、平成の始まりは1989年1月8日からです。

平成元年は、初めて日本に消費税3%が導入されますが、好景気のせいでしょうか?

年末の12月29日の大納会では、日経平均株価が3万8915円の高値を付け、バブルは最高潮を迎えます。

この年の流行ファッションは、昭和の終わり頃から続く、DCブランド(デザイナーズ ・キャラクターブランド)

そして、1985年頃から流行のアメカジ(アメリカンカジュアル)

の流れから生まれた渋カジ(渋谷カジュアル)が流行り始めます。

渋カジとは、渋谷の街に放課後集まる都内近郊の、男子高生から生まれたファッションです。

オシャレでカッコいいと、クチコミや雑誌で話題になっていきます。

人気はやがて、大学生から20代の若者へ広がり約5年間流行しました。

 

DCブランドは、デザイナーやメーカー側のデザインや、キャラクターが強いファッション。

他のブランドとのコーディネートが難しいので、トータルコーディネートで購入します。

高額になるので、当時は丸井でローンを組んだりして支払っていました。

反対に渋カジは、終盤に向けてストライプのシャツにインポートのジーンズや、ラルフローレンのポロシャツなど。

自分なりに、スタイリングできるシンプルなスタイル。

上質で長く愛用できるカジュアルスタイルが、若年層に支持されました。

 

※コーディネイトとスタイリングに関しましては

セルフコーディネートとスタイリングの重要性とは?

をご覧ください

 

ストリートファッションとは、時代背景や環境によって、自然発生的に生まれたファッション。

日本初のストリートファッションは?

と聞かれたら

”渋カジ”と答えて良いでしょう!

バブル崩壊後のファッションは?

翌年の平成2年(1990年)

バブルが崩壊し、株価は約半値まで大暴落します。

しかし株価の値下がりは、一時的だと国民は思っていたのでしょう。

その年の新語・流行語には

アッシー君(呼んだら車などで送り迎えなどをしてくれる男性)

メッシー君(食事をごちそうしてくれる男性)

ミツグ君(高価なプレゼントをしてくれる男性)が選ばれています。

 

平成3年(1991年)には、東京港区芝浦に、ディスコ「ジュリアナ東京」がオープンします。

ディスコのお姉さん達のファッションは、ワンレンボディコン。

ワンレン(ワンレングス・ボブ)

ボディコン(ボディ・コンシャス)

セクシーな姿で、お立ち台で踊り話題になりましたが、わずか3年で閉店。

 

そんな頃、DCブランドファッションにも陰りが見え始めます。

一方渋カジは”紺ブレ”(紺色のブレザー)が流行に。

高視聴率トレンディードラマ「東京ラブストーリー」でも、主演女優さんが着用し、全国的に大流行しました。

当時はネットやスマホでの情報がありません。

テレビや雑誌の情報には、絶大な影響力があったのです。

 

オリンピック開催で、スニーカーブーム

平成4年(1992年)はスペインのバルセロナで、オリンピックが行われました。

日本では当時14歳の水泳の岩崎恭子が、200m平泳ぎで金メダルを獲得します。

また世界的に注目されたのが、アメリカのバスケットボール(NBA)の名プレイヤー達。

代表選手では、マイケルジョーダンやマジックジョンソン。

プロ選手が初めてオリンピックに出場し、史上最強のドリームチームと呼ばれました。

選手をモデルにした、NIKEのスニーカーやウエアは売り切れ続出。

スポーツファッションが大ブームになりました。

現在は、これらの復刻版モデルのスニーカーが発売され、ブームが再来しています。

この他、agnes b.(アニエスべー)やA.P.C(アー・ペー・セー)などのフレンチカジュアルが大流行。

パリジェンヌのシックで上質なカジュアルスタイルは、現在でもフランスの人気ブランドです。

 

平成5年(1995年)には、ボーダーファッションや、クラブのDJファッションなどが流行。

腕時計では、G-SHOCKがブームになりました。

この年、繊維企業の倒産が年間1000件を突破。

バブル崩壊の余波が、アパレル業界にも押し寄せます。

平成6年(1996年)関西空港がオープン。

スキー&スノーボード人口が、約1,800万人と国内で過去最高になり、スノボーファッションも人気に。

 

沈んでいた日本で流行をけん引したのは?

平成7年(1995年)は阪神・淡路大震災や、オウム真理教による地下鉄サリン事件が起こりました。

日本全土が不安や悲しみの中で「コギャル」と呼ばれる、女子高生ブームが到来します。

この頃は、女子高生がトレンドのキーワードとなり、次々にヒット商品が生まれます。

1996年(平成8年)女子高生の間で、ルーズソックスがブームになります。

その後は歌手の安室奈美恵さんのファッションや、メイクが大流行。

細眉メイクにミニスカートと、厚底ブーツのスタイルは”アムラー”と呼ばれ、流行語にもなりました。

 

平成9年(1997年)は、消費税が3%から5%に引き上げられます。

日本の4大証券のひとつでもあった、山一証券が経営破綻します。

バブル全盛期までの3年間、毎年1000億以上の経常利益を上げる証券会社でした。

社長の謝罪会見に国民は、”大企業なら将来安泰”という感覚が、覆されたニュースでもありました。

 

この年の大ヒット商品は、東京テレメッセージのポケベル(ポケットベル)です。

しかし携帯電話の普及により、今年の2019年9月30日で、ポケベルの個人向けサービスが終了。

便利さを求めた私達の責任でもありますが、ファッションと同様、姿を消してしまうのは寂しいものです。

 

ファッションでは、裏原宿から生まれたブランド(裏原系)が流行に。

翌年の平成10年(1998年)~平成17年(2005年)頃までブームは続きます。

裏原系の発端となった代表格のブランドでは

GOODENOUGH(グッドイナフ)

A BATHING APE(ア・ベイジング・エイプ)

UNDERCOVER(アンダーカバー)

当時の裏原宿は、ファッションを自ら作り出す情熱を持った若い日本人デザイナーの、聖地でした。

新作の発売日には、人気ブティックに長い行列ができて話題に。

しかし、一部の高額な転売目的による購入が問題視された事もありました。

これらのデザイナーブランドはその後、海外でも人気を博していきます。

DCブランドブームから、約20年。

渋谷から裏原宿で、日本の若きデザイナーブランドのブームが起きました。

 

※その後の平成11年(1999年)以降は

平成のファッションと流行を振り返る(後編)

をご覧ください

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