大人のファッションブランドアイテム最終章
「品格バッグ編」です。
これまでパンプス、ウォッチ、ジュエリーとブランドの歴史と共にお勧めの製品をご紹介してきました。
歴史をたどるとブランドはステータスだけではなく、技術や文化を継承してきた芸術品である事がわかります。
今回は発売から35年間、不動の人気を誇り価格が上昇しているブランド。
そして創業は旅行用トランクに始まり、現在では世界No.1ラグジュアリー企業に成長したブランド。
この2つのブランドの歴史とエスプリを感じる、お勧め品格バッグをご紹介したいと思います。
Contents
”大人のファッションブランドアイテム|品格バッグ編”
エルメス(Hermès)
エルメスの創業者はティエリーエルメス。
ティエリーは1837年、フランスパリのバス・デュ・ルンパール通りに、馬具工房を開業します。
この時代は、人々の交通手段が船と鉄道、そして馬車でした。
馬車は非常に高価な乗り物で、所有できるのは一部の富裕層のみ。
馬具工房の中でも、ティエリーの製作した馬具はオシャレで品質が高く、評判となります。
顧客には、ナポレオン3世やロシア皇帝など。
1867年の第2回パリ万博では、馬具部門にて銀賞を受賞します。
これにより、エルメスがフランスを代表する馬具ブランドである事を、証明します。
その後はティエリーの息子である、2代目シャルル・エミール・エルメスが後継者となります。
彼も1878年、パリ万博に出品した鞍が金賞を獲得。
最高峰受賞で、エルメスの名声と品質の高さを不動のものにしました。
1879年、現在の本店があるパリ8区のフォーブル・サントノーレ通りに工房を移転。
1892年には、馬具を収納する為に製作したバッグ「サック・オータクロア」を販売。
これまで順調に馬具ブランドとして、歴史を築いてきたエルメス。
しかし1903年に突如、経営危機が襲います。
この年、アメリカの自動車会社フォードが設立。
馬車から自動車へと変革の時代が訪れたのです。
この時のエルメスの社長、3代目のエミール・モーリス・エルメスは、経営をバックや財布、ベルトなどの製造販売にシフトチェンジします。
1886年設立の世界初の自動車メーカー、メルセデスベンツに続くフォードの登場で、大きく方向転換の舵を切ったのです。
この決断が、エルメス存続の窮地を救いました。
1920年、馬具で培った技術を生かし、ファスナー付のバックを発売。
革製品にファスナーが使用されるのは当時では珍しく、バックの中身が落ちないと話題に。
1927年には、エルメスの腕時計を発表。
その後はスカーフや香水など新しい分野にも参入していきます。
しかし新たなアイテムが軌道に乗ると、再び試練が降りかかります。
”暗黙の木曜日”と呼ばれる
1929年12月10月(木曜日)
アメリカのウォール街の株価が一気に急落。
その後の1932年にかけて株価は87%も下落します。
世界大恐慌と呼ばれ、ヨーロッパ全土にもその余波は広がりました。
1939年、第2次世界大戦が勃発。
この戦争により、エルメスは包装資材が不足の事態に。
お店の営業は続けていましたが、これまで使用していた白いボックスや包装紙が手に入りません。
そこで最後に残った、華やかなオレンジ色の包装紙でラッピングする事に。
しかし、お客様からは思わぬ反響があり、苦肉の策から生まれたパッケージが、現在のエルメスを象徴するカラーとなりました。
モーリスの時代に参入した、比較的手ごろな価格帯の香水とスカーフ。
この2つのアイテムの売上で、エルメスは不況時代も、乗り越える事ができました。
1956年、妊娠中だったモナコ公国王妃のグレースケリー。
彼女がエルメスの「サックアクロア」のバッグでお腹を隠す写真が、雑誌の表紙となり大きな話題となります。
当時、4代目社長のロベール・デュマ・エルメスは、モナコ王室に許可を取り「ケリーバッグ」と改名。
グレースケリーのように、美しく気品あるケリーバッグは、現在でもバーキンに並ぶ人気の主力商品です。
1984年、エルメスを代表するバッグ
「バーキン」を発売。
製作するきっかけには、こんな逸話があります。
エルメスの5代目社長、ジャン・ルイ・デュマ・エルメスが、歌手のジェーン・バーキンと飛行機で偶然となりの席になります。
彼女はデュマに、娘の哺乳瓶を入れるのに適したトートバッグがないと相談します。
共感したデュマは、彼女の意図を組みとり、収納力の優れたバッグ製作。
オータクロアをカジュアルにアレンジしたデザインのバーキンが誕生しました。
発売当時、日本円で定価は約50万円ほどでした。
しかし現在は入手困難なバッグになっており、価格も約3倍に高騰しています。
2010年、新たな経営危機がエルメスに訪れます。
ラグジュアリーブランド企業大手のLVMH(モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン)がエルメスの株式を買い始め、買収騒動が勃発。
4年にも及ぶ争いの結果、エルメス一族で徹底抗戦し、買収を防衛しました。
※LVMHに関しましては
もご覧ください
2015年には、アップルと共同で開発した「アップルウォッチ・エルメス(Apple Watch Hermès)」を発表。
現在、エルメスは創業から、182年を迎えました。
長い歴史と人気の一つには、卓越した職人が商品の全工程を、手作業で作りあげている事。
大量生産の時代に、職人が責任とプライドを持ち、愛情を注ぎ製作する手法を貫いています。
またエルメスでは、どこのアトリエで誰が作ったのかを、すべて把握しています。
「上質のものを長く使い続けたい」という顧客の思い。
そして「修理して繰り返し愛着をもって使ってほしい」という職人の思い。
エルメスは、購入後のアフターケアもしっかりと対応し、顧客との信頼関係も築いてきました。
ブランド価値というものは、モノだけではなく、人と人との関わりから醸し出されるもの。
エルメスが本当に提供しているのは、目には見えない、思想や理念また文化なのです。
エルメスのネックレスのリメイクに関しましては
こちらをご参考下さい。
エルメスのお勧めバッグは、なんといっても万能な画像の”バーキン”
(現在は店頭に商品が無いため、知人に借りて撮影しました。)
サイズは30cm、素材はエプソン、カラーはゴールドです。
流行に左右されず、エルメスのバックの中でもダントツでデザイン性、機能性の高いバッグ。
親子3代に渡り使う事を考えれば、決して高くはない…そんなファンも多いです。
カジュアルにもフォーマルにも、合わせられるのも大きな魅力です。
ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)
創業者はルイ・ヴィトン
1821年にフランスのアンシェという村で生まれます。
ルイヴィトンは、わずか14歳でパリに向かうため家出をします。
途中、さまざまなアルバイトなどをしながら、徒歩でパリに到着したのは16歳の時。
その後はパリで、木箱製造職人の下で見習いとして、17年間修業を積みます。
1854年のルイヴィトンが33歳の時に、パリのカプシーヌ通りに、旅行鞄専門店をオープンさせます。
これからの時代は船や鉄道のインフラ整備が進み、旅行スタイルが長期間になる事をルイヴィトンは想定していました。
そこで長旅に適したトランクを、次々に斬新なアイデアで、考案していきます。
当時では珍しい、中に仕切りのあるトランクや、軽くて丈夫な防水加工の布のトランクなど。
機能性と耐久性に優れたルイ・ヴィトンのトランクは、セレブ達から高い評価を受けます。
評判は国内外にも広まり、現在の工房だけだは次第に受注に対応できなくなります。
そこで1859年、パリ近郊のアニエールに4500㎡の土地を購入し工場を新設。
1867年には、パリ万国博覧会に出展したワードローブトランクが、銅メダルを獲得し世界的な評判を得ます。
ロシアの皇太子やスペイン国王、ラテン系王族などからも、トランクの注文を受けます。
日本人では1883年に”自由民権運動の父”呼ばれた板垣退助が、パリのルイヴィトンでトランクを購入した履歴が残っています。
1885年、ロンドンのオックスフォード通りに、ルイ・ヴィトン初の海外店舗をオープン。
世界的に有名になっていく一方で、2つの大きな問題に頭を悩ませていました。
1つは、多発する旅行中のトランクの盗難事件。
高級ブランドとして名が知れると、泥棒の標的にもなってしまったのです。
ルイヴィトンは息子のジョルジュと共に1886年、盗難対策として錠前システムを開発。
トランクが厳重な金庫になるよう、2個のスプリング式バックルを用た物で特許権も取得します。
2つ目は、ルイヴィトン製品の偽物の横行です。
コピー商品を防止する為の、バック「ダミエキャンバス」を製作します。
しかし1888年、市松模様の柄にルイヴィトンの文字を入れ、商標登録されていたにも拘らず、再びコピー商品は出回ってしまいます。
1892年、創業者であるルイヴィトンが71歳で亡くなり、息子のジョルジュが後継者となります。
一向に解決しないコピー商品の対策として、ジョルジュは生産効率よりも、工夫された斬新なデザインが必要だと考えます。
そこで製作されたのが、1896年に誕生した花と星の柄に創業者のイニシャル、LVがモチーフの
「モノグラムキャンバス」です。
モノグラムは発売当時、職人の手によりひとつひとつ、手描きで施していました。
やがて執念とも言うべき職人の尽力により、ルイ・ヴィトンの偽物は激減していきました。
現在でもルイヴィトンのシンボル的な存在になっている「ダミエ」と「モノグラム」
この2点は、19世紀後半のヨーロッパを中心にブームとなった、ジャポニズムの影響を受けデザインされました。
その後はトランクのみならず、次々にバッグを製作し店舗を増やしていきます。
日本では、1978年に東京と大阪にストアをオープン。
1987年には、モエ・へネシーとルイ・ヴィトンの合併により、モエ・ヘネシー・ルイヴィトン(LVMH)が誕生。
ラグジュアリーブランド企業に関しましては
をご参考下さい。
合併後はバックのみに留まらず、様々な有名デザイナーを起用。
本格的にファッション業界へ参入していきます。
1997年、アーティスティック・ディレクターにマーク・ジェイコブスを迎え、プレタポルテとシューズのコレクションを発表。
2003年には、日本の現代美術家でポップアーティストの村上隆を起用します。
伝統のモノグラムをマルチカラーにしたデザインや、日本をイメージする桜の柄のデザインなどを発売。
2017年、若者に人気のファッションブランドSupreme(シュプリーム)とのコラボ商品を発売します。
販売するポップアップストアを、表参道にオープンし大きな話題となりました。
2021年に、ルイヴィトンは創業200年を迎えます。
ルイヴィトンの魅力は、新しさを常に追求しながらも、伝統的な部分は上手に受け継がれている所。
クオリティーを下げる事なく、どの年代でも古さを感じさせない魅力があります。
ブランドを継続していく裏で、未だ無くならないコピー商品への対策。
また、膨大な資金を投じ研究を重ねたマーケティングや、ブランドの魅力を最大限に引き出し広告宣伝。
LVMHは現在、数々のファッションブランドを傘下に、世界NO.1のラグジュアリーブランド企業に成長しています。
ルイヴィトンのお勧め品格バックはやはり、旅行カバン
インダストリアル・デザイナー マーク・ニューソンに考案された新作の
「ホライゾン 55」
時代を先取りしたルイヴィトンならではの、ラグジュアリーなデザインの4輪トロリーです。
伸縮式キャリーハンドルが外側についているので、スッキリとしたデザインで収納力も抜群。
機内持ち込みがOKな航空会社もあり、いますぐ一緒に旅に出かけたくなるトロリーです。
革のバッグのお手入れ&メンテナンス
マストアイテムのバッグなら、長く愛用していですよね。
その為には、日々のお手入れが大切。
まず、バッグを使用したら、ブラッシングや乾拭きで汚れやほこりを落とします。
次に型崩れ防止のために、バッグの中にやわらかい布や丸めた新聞紙を入れます。
新聞紙は適度に湿気を吸収してくれるので、湿気の多い日本ではとても重要です。
インクによる防虫効果もありますが、内装にインクが写る場合もあるので布などにくるんで入れましょう。
※バッグのリペアに関しましては
ご参考下さい。
まとめ
大人の品格ファッションアイテムシリーズでご紹介したブランドには、いくつもの共通点がありました。
どんな時代でも、決してぶれないブランド精神と徹底した品質へのこだわり。
同時に顧客を飽きさせない、新しい事へのチャレンジ精神。
ブランドはステータスだけではなく、その国の文化や思想、芸術が提供されているのです。
人生にも紆余曲折があり、人格が形成されていきます。
品格アイテムもスタイリングできる、人格と品格を備えた大人でありたいですね。