東京オリンピックとファッション|1964年

前回の東京オリンピックは、今から56年前の1964年(昭和39年)10月に開催されました。

日本は高度経済成長期であり、東海道新幹線が開通したり、カラーテレビなどの家電が普及しました。

大卒の平均初年給は、2万1526円、ビールが115円の時代です。

この頃、日本ではどんなファッションが流行していたのでしょうか?

また、東京オリンピックで日本選手団が着ていた、赤いブレザーの誕生秘話にも迫ってみたいと思います。

 

平成のファッションに関しましては

※平成のファッションと流行を振り返る(前編)

をご覧ください

Contents

”東京オリンピックとファッション|1964年”

アイビールックが大流行

東京オリンピックを控え、日本ではアイビールックが大流行。

アイビールックは、アメリカの8つの私立大学が1954年に設立した、フットボール連盟の「アイビーリーグ」が原点。

名前のアイビーは、大学のレンガ造りの校舎に生い茂る蔦が語源です。

そして、アイビーリーグの学生が着ていたファッションを「アイビールック」と名付けました。

アイビールックは、1950年代半ばから1960年代前半にアメリカで、大ブームになります。

彼らの象徴的なファッションアイテムが

・紺の3つボタンジャケット

・ボタンダウンのシャツ

・コットンパンツ、バミューダパンツ

・ローファーです。

アイビールックは上品で、スタイリッシュなアメリカン・トラディショナル(アメトラ)スタイル。

アイビールックの代表的なブランドは、J.プレス(J. Press)やブルックスブラザーズ (BROOKS BROTHERS)です。

そして、日本にもアイビールックを代表するブランドがあります。

 

日本で一世風靡した、アイビールックのブランドとは?

VAN JACKET INC.(株式会社ヴァン ヂャケット)

日本のファッションデザイナー兼、創業者の石津謙介氏のブランドです。

石津氏は、いち早く日本にアメリカンカルチャーを浸透させ、アイビールックの、火付け役となったブランドです。

 

東京オリンピックの年に創刊された「平凡パンチ」では、VANが度々取り上げられ、一気に知名度をあげていきます。

その後、VANの対抗馬として登場したのが、ヨーロピアンテイストのJUN(ジュン)です。

 

このブームに影響を受けた若者が、1964年の初夏に、銀座みゆき通りに出没し始めます。

彼らは「みゆき族」と呼ばれ、そのオシヤレなスタイルが、マスコミなどで話題となります。

みゆき族の男性のファッションは、アイビールックを着崩したような丈の短いコットンパンツや、バミューダショーツ。

女性はブラウスにロングスカートで、首や頭にネッカチーフを巻き、足元はぺたんこ靴。

そして男女共に、ヅタ袋を脇に抱えるコーディネートが人気に。

独創的なファッションの若者が、土日のみゆき通りには、1日200人~300人集まっていました。

 

みゆき族が注目される一方で、銀座のイメージが崩れるなど、近隣の店からの苦情が増えていきます。

東京オリンピックを1か月後に控え、築地警察署は風紀向上対策として、一斉取り締まりを決行。

みゆき族のブームはわずか半年で、終息してしまいました。

 

その後VANの売上げは、最盛期の1975年に、年商約452億円を記録しますが、ブームの終息と共に1978年には倒産。

しかし1980年には、新たに株式会社ヴァンヂャケットを設立します。

近年は、VANの復刻盤アイテムなどが話題となり、ブームが再燃しています。

 

※2019年のファッションに関しましては

2019年のファッションニュースランキング

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1964年、東京オリンピックの赤い公式ブレザーの誕生秘話

1864年東京オリンピックの日本選手団の公式服装はブレザーが赤、帽子とズボン・スカートが白という鮮やかな『日の丸カラー』

東京オリンピックの公式ブレザーをデザインしたのは、東京·神田で紳士服店を営んでいた、望月靖之氏。

望月氏はヘルシンキ、メルボルン、ローマのオリンピックと、日本選手団の公式ブレザーを担当した人物。

しかし、ヘルシンキから提案していた、日本のナショナルカラーの赤いブレザーは、すべて却下されていました。

なぜなら当時は、日本人男性が赤い色の服を着るのはおかしいと、反対意見が多かったからです。

東京オリンピックでは、望月氏の長年の熱意がようやく伝わり、赤のブレザーに決定。

 

生地作りを担当したのは、1879年(明治12年)創業の、繊維製造会社のダイドーリミテッド。

当時ダイドーの社長は、生地のマス見本の約3000種類を試し、通常の赤より4倍のコストがかかる、朱赤の色を出しました。

また、国立競技場まで出向き、秋空や競技場のアンツーカーの色、芝生の色との見映えまでを入念にチェック。

時間と労力を注ぎ、この鮮やかな赤いブレザーが誕生したのです。

一方の望月氏も完璧なブレザーを目指し、日本各地の老舗テーラーの職人70人を集めます。

そして代表選手ひとりひとりの寸法を取り、仮縫いをし縫製しました。

 

海外では既製服が支流の時代に、日本のオーダーメイドなんて古臭いし、時代遅れなどの批判もありました。

しかし望月氏はあえて、伝統的なスタイルに拘り、日本の文化や技術を集約させ世界にアピールしました。

結果的には、後世に語り継がれる斬新で印象的な、日本のブレザーとなりました。

2020年の東京オリンピックの公式ブレザーのデザインは?

製作は公募で選ばれた紳士服のAOKIが担当。

デザインのコンセプトは「ニッポンを纏う」です。

「東京2020大会の価値の発信」

「歴史と伝統の継承」

「国民との一体感」を表現。

オリンピック・パラリンピックともに「共生」という共通のテーマで製作したそうです。

 

今回は、1964年の東京オリンピックの年に流行したファッションと、オリンピックの公式ウェアの製作秘話をお伝えしました。

 

オリンピックの公式ウェアには、その国の文化や愛国心など、様々な思いが込められています。

東京オリンピックでは、各国のウェアにも着目して、観戦を楽しんで下さいね!

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